ゆかりの人たち

久保 勉(くぼ まさる 1883-1972

哲学者、元東北帝国大学教授、東洋大学名誉教授

1909年(明治42年)東京帝国大学文科大学哲学科に入学し、ケーベル先生に師事、在学中から書生として先生の自宅に身を寄せ、ハウスガイスト(家の霊)と呼ばれるほど長年にわたり先生と親しく身近に接しました。

1919年(大正8年)に深田康算との共訳で岩波書店から『ケーベル博士小品集』を出版、その後も1923年(大正12年)に『ケーベル博士続小品集』、翌年に『ケーベル博士続々小品集』を翻訳し、ケーベル先生の名が日本の人口に膾炙するのに大きく貢献しました。

またケーベル先生の人となりを知る上で貴重な資料となる『ケーベル先生とともに』(岩波書店、1951年)も著しています。

久保先生については、鈴木重昭「『思想』ケーベル先生追悼号の執筆者略歴」(『ケーベル会誌  第2号』)、同「久保先生のお形見」「久保先生へのお詫び事 二つ」(『ケーベル会誌  第4号』)もご参照ください。

写真は雑司ヶ谷墓地での久保先生(撮影・鈴木重昭)。

坂田 祐 (さかた たすく 1878-1969)

教育者、関東学院初代院長

1904年(明治37年)に陸軍軍人として日露戦争に従軍、退役後に第一高等学校に入学し、1912年(明治45年)に東京帝国大学文科大学哲学科に入学、ケーベル先生の謦咳に接しました。

大学卒業後は教育者としての道を歩み、1927年(昭和2年)には横浜市に神学部、高等学部、中学部からなる財団法人関東学院を組織。1937年(昭和12年)に関東学院初代院長に就任しました。

ケーベル先生の命日の6月14日には毎年、久保先生とともに雑司ヶ谷墓地を訪れ、墓参を欠かしませんでした。

ケーベル先生の想い出については自伝的著作『新編 恩寵の生涯』(待晨堂、1976年)に記されています。また鈴木重昭「ケーベル先生と坂田祐先生」(『ケーベル会誌  第3号』)も併せてご参照ください。

写真はケーベル先生の墓前で先生の特愛の聖句ルカ伝24:29を拝読される坂田先生(撮影・鈴木重昭)。

島尻 政長 (しまじり まさなが 1937-2011)

ケーベル会初代会長・名誉会長

大阪教育大学で歴史・音楽、関西学院大学大学院で美学を学び、東京大学大学院美学研究室で研究員を務めた後、沖縄でピアノ教師として活躍、島尻音楽研究所を立ち上げるとともに、全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)や日本音楽審議会の沖縄支部設立に貢献しました。またケーベル会の初代会長として研究、講演、執筆活動を精力的に行う傍ら、沖縄女子短期大学、沖縄キリスト教短期大学、琉球大学で哲学・音楽・倫理学を講じ、多方面で多くの弟子を育てました。著書に『ピアノ学習者のために』(レッスンの友社、1984年)、『私の歩んで来た道』(私家版、2005年)。

鈴木 重昭 (すずき しげあき 1927-2002)

ケーベル会第2代会長

若い頃から内村鑑三門下である植物学者の大賀一郎博士に個人的に師事、工学院大学工業化学科(専攻は高分子化合物)を卒業後、1963年から1988年まで国立科学博物館に勤務し、文部技官として科学史研究に従事、乳業史・科学技術史などの分野で数多くの業績を残しました。日本科学史学会、日本イスラエル文化研究会、正会員。遺稿集に『ミルク・ロード ―東西技術史の接点―』(関東図書、2009年)、『信仰史の渺たる者』(キリスト教図書出版社、2010年)。